歴史ある名前が続々と復活!
町会の名前をはじめ、普段から旧町名を使っている金石地区。金沢市が進める「旧町名復活」運動によって、暮らしにしっかりと根付いている旧町名が続々と復活しました。
狭く、曲がりくねった路地がさまざまに交わる。潮風にさらされて木材は深い色をたたえ、住人たちの暮らしのにおいが漂うー。1962(昭和37)年の住居表示に関する法律によって消えた、歴史ある町名が2018年より続々と復活しました。自分たちが住む地域の歴史を知り、まちへの愛着を育む「しるべ」となることが期待されます。
復活したのはこんなまち!
《2018年 復活!》
金石通町かないわとおりまち
江戸時代には上通町と下通町に分かれていて、大店(おおだな)もあり、人の往来も多かった。
金石下本町かないわしもほんまち
町人や商人が、多く居住していた本町の下に連なった町で、店屋も多くにぎわった。
金石味噌屋町かないわみそやちょう
「味噌」を商う有力な商人がいたと思われる。「宮腰絵図」にも記されている由緒ある町名。
《2019年 復活!》
金石新町かないわしんちょう
新しく町立てされたことに由来すると思われる。元禄時代に描かれた「宮腰絵図」にも記されている。
金石今町かないわいままち
町名の由来は定かではないが、古くより海から上がられた佐那武の神様が通られたという。
金石海禅寺町かないわかいぜんじまち
海禅寺という寺があったことからついた町名。この寺がいつ上越前町に移転したかは不明。
《2020年 復活!》
金石下寺町かないわしもでらまち
藩政時代、町の東方に大寺があったので、その辺りは「寺町」と呼ばれ、のちに「上」「下」に分かれた。
金石上浜町かないわかみはままち
「浜町」の上方(かみがた)方向に連なる町筋が由来とされる。小学校移転前は駄菓子屋などが立ち並び、多くの子どもが行き交った。
金石浜町かないわはままち
御塩蔵の浜方(海方)に連なる町筋が由来であると推測される。海に近い金石の歴史を映し出している。
金石松前町かないわまつまえまち
北前船により、北海道松前地方を交流先とする人々が多く住んでいたことに由来するといわれる。
金石御船町かないわおふねまち
藩政時代、藩の御座船等の御船小屋があり、御船足軽たちが住んでいたことに由来する町名といわれる。
《2021年 復活!》
金石上越前町かないわかみえちぜんまち
かつて越前方面と取引する人が多く住んでいたことに由来する。町が大きくなったため「上」「下」に分かれたといわれる。
金石相生町かないわあいおいちょう
宮腰町と大野町が合併した際、一つの根から二本の幹が生え出て二つとも育つ「相生」のように一緒に栄えることを願って付けられた。
今さら聞けない?!「金石」の由来
「宮腰(みやのこし)」と呼ばれた金石と、隣町の大野との仲の悪さを懸念した13代藩主・前田斉泰が、宮腰と大野とを合併させ、中国の故事「金石(きんせき)の交わり」から名付けたそうです。宮腰を上金石、大野を下金石と称しましたが、明治期に大野が元の町名に戻しました。ちなみに「宮腰」とは、お宮さん(大野湊神社)の腰元にあることに由来しています。
金石44町会パズル
金石町校下町会連合会は44町会が名を連ねる大所帯です。金石とひと口に言っても、こんなにたくさんの町会、呼び名があるんですね。
(それにしても「元本町」はデカイ!)