海上交通の要所として古くから栄えてきました
加賀藩の財政を支えた港町
古くは城下町金沢の海の玄関口だった金石は、かつてはみやのこし宮腰と呼ばれ、北前船の寄港地として栄えてきました。銭屋五兵衛らの豪商たちは、加賀藩の財政を支える勢いの交易があったそうです。
製材と漁業のまち
昭和になると製材と漁業のまちとして発展してきました。往時の面影を宿した建造物や幾重にも交わる路地は、風情あるレトロなまちなみとして近年再び注目を集めています。
城から一直線!「金石街道」
1616(元和2)年、宮腰に荷揚げした荷物を城下まで運ぶ「宮腰往還(金石往還)」が作られました。加賀前田家3代・前田利常が、金沢城から見渡すかがり火が一直線上になるよう線引きしたといわれています。